曲をひらめくときのこと
曲が浮かばないので、文でも書こうかと。
いやー、なんでしょうね。
曲が浮かばない時って、だいたい、作ろうと思ってるときなんです。何とも皮肉なことに。
で、「今?」みたいなときにひらめいたりする。
作ろうと思って作れるときもいちおうあります。
それは、締め切りに追われているとき(笑)。
こういう時はなぜか、鍵盤や机に向かいながら、何かしらひらめくことが多い。
まあこれは正直、「作ろう」というよりかは、「作らなきゃいけない」という、義務感ですかね。
だからといって、締め切りとか関係なく自分で「作らなきゃいけない」と自己暗示しても、やっぱダメなんですよね。
こういうのは、人によって違うと思います。少なくとも僕はこんな感じなんですが。
たとえば、ミュージカルの劇中曲の多くがスタンダードナンバーとして知られている作曲家ジェローム・カーンという人がいます。
この人は、
「芸術家なら無頼な生活をするのが当たり前で、気の向いたときに好きに仕事をすればよい」というような神話を信じておらず、「インスピレーションが突然肩をたたくのを待ってるような人間は仕事を変えたほうがいいだろう。毎日何時間かピアノの前に座っていれば、たとえすぐには名曲が生まれなくとも、いいアイデアや何小節かの良いメロディを生み出すことができる。それが集まって良い曲ができていく」
井上一馬『ブロードウェイ・ミュージカル』(文春新書)p101
なーんてことを言っています。
この人の感覚だと、僕は間違いなく曲を作る体質ではありません(笑)。
まあ彼は一流の作曲家ですし、何せミュージカルのための曲を書くということになれば、ある程度作曲に追われていたのではないかとも思いますが。
でも、一時期この言葉を信じて、ずーっとピアノの前に座っていたこともありました。そう簡単にはいきませんでしたけどね。
もちろん、日によっては断片的なメロディーがひらめいたりしますが、全く成果のない日も多かったですからね。
結局、ひらめきって何なのかってことですよね。
僕の中ではやっぱりこれ、偶然的なものではないと思うんです。
自分の見たものや聞いたもの、そういうものがインプットされ時にはアウトプットされ、どんどん蓄積されていく。
その過程で、時折、頭の中で何かがぶつかり合って光を放つみたいな…。
あくまでたとえですけどね。
僕は少なくとも理系の人間ではないのであれなんですが、光を放つなり、電気が発生するなり、結局科学的に必然的な理由があるわけですよね。
ひらめきもそうじゃないかな、と。
何か良いものができたときって、実はそういう化学反応みたいのが起きてるように思えるんです。
もしもできるなら、何がどうしてどうなってこの曲ができたのかという、その化学式みたいのを知りたい気もします(笑)。
あと重要なのは、タイミングですね。
これはもちろんさっきの化学式の中にも含まれるんだと思いますけど、独立して話したいですね。
タイミングというのは、その仕事が来たタイミングもそうですし、自分がどんな心情のタイミングで作り始めたか、というのもそうです。
僕は、音楽ユニットで作曲を担当していて、歌詞は作詞の担当の相棒から送られてきます。
それで後々曲を聴きなおしてみると、
「この歌詞あの頃に送ってもらっててよかったなー」
みたいのがあったりします。
やっぱりその時その時で、自分が影響を受けているものとか好みとかってのは、多少なりとも違うはずなんです。
だから、もし今あの歌詞が送られてきていたら、これは形にならなかったかもしれない、と、まあ後日談になっちゃいますがそう思ったりすることもあるんです。
それはまた逆もしかりで、
「これは今きてたらもうちょいいいものになったかもなあ」
と思うことだってあります。
これももちろん結果論であって、いまさら何を言おうが愚かな言い訳にしかなりません(笑)。
ほんとにタイミングって重要だなって、思うんですよね。
なんとなくですけど、今日作るのと明日作るのとでは、違うものができる気がします。
これが作曲の面白いところでもあり、難しいところでもあります。
でもやっぱり、形になったものはそうなるべくしてなったのだと、そう思うようにしています。
そう思えてはじめて、今度こそいいものを作るぞ!と、そう前を向ける気がするのです。